超近場街乗りツー・落ち果てた車輪

最近バイクに乗っていないような気がする・・・・
毎週金曜日の時点で『週末は天気がイマイチ』と予報されるので、バイクに乗るのをやめて徒歩で出かけたりするのですが、なんだかんだで一日雨に降られずに持ってしまう・・・・(泣)


今日も、天気が怪しいというのでバイクのエンジンを温めがてら、近場にプラッ~と出かけてみました。
ここは、多摩川

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・多摩川を渡るJR八高線 多摩川橋梁 1931年(昭和6年)製 L=571.640m

そして、八王子駅~高崎駅を結ぶ、JR八高線の鉄橋。写真を右に行けば拝島駅。左に行けば小宮駅
JR八高線と言えば・・・・都内で最後まで残っていたディーゼルカーによる運行(1996年まで)だったり、都内で唯一の地方交通線(JRの運賃計算上の区分で、ようは割増運賃区間。)だったりと、それはもうヒドい仕打ち(笑)


八王子生活が長かった私も、八王子駅ではディーゼルカーをよく見かけました。一番端のホームで、すす汚れた感じの朱色のディーゼルカー。近年は白かったような気がします。


そんな思い入れ(?)がある八高線にも、悲しい事故の記録があります。
そのうちの一つが、この目の前にある多摩川橋梁の上で正面衝突事故により、多数の負傷者や死者が出てしまった事故。

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・かなり傷んでいる、事故を後世に伝える看板

詳しくは、他のページに譲りますが・・・・

http://41-31.at.webry.info/201007/article_1.html 真夏の朝の大惨事(八高線多摩川鉄橋列車事故)

要約すると・・・・
日本に終戦が訪れ、兵隊さんが故郷に戻るため、はたまた食料を買い求める民衆が大挙して押し寄せた終戦から9日後の、1945年8月24日。


台風が接近し朝から暴風雨にみまわれ、東海道線なども不通になる中、国鉄八高線でも小宮駅で通信途絶という障害に見舞われます
今みたいに自動信号・・・・な訳が無く、列車を走らせるためには駅間でその都度駅長同士が打ち合わせの上で、どちらか一方から列車を出発させるという時代。通信途絶とは、駅長同士での打ち合わせができないので、列車を走らせて良いのか判断が出来ないという、致命傷ともいえる状態に陥っていたのです。


現在なら、確実に運休になっている事態。
それでも当時は、列車を止めるのは恥である時代で、なんと小宮駅から徒歩で伝令員を拝島駅に向かわせることに。(ちなみに、第一伝令は、先に拝島駅から小宮駅に向けて列車を発車させよというもの。)

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・手すりも何にも無い橋を、暴風雨の中、転落の危険と隣合わせで伝令員が走る!

ところが、いろいろあって小宮駅長が、やっぱり小宮駅から先に列車を走らせよう・・・・(←おいっ!!)と、第二伝令員を拝島駅に向かわせます。


矛盾する伝令が二つ伝わり大混乱の拝島駅では、第一伝令が正と判断し、列車を出発させ・・・・そして小宮駅でも正しく伝令されているものとして、列車を出発


これだけ直線で、見通しも良いのに・・・・と思うのですが、蒸気機関車ってボイラーが邪魔で前方の視界が明るくないし、暴風雨でワイパーの無い窓の視界も歪み、直前までお互いが気がつかず。そしてこの鉄橋の上で正面衝突となったわけです。


衝突して、そのまま残って粉々になった車両、粉々どころか橋に食い込んだりしてグシャグシャ
撤去なんてそう簡単に出来ず、結局橋の上に残った車両も、クレーンで持ち上げるも失敗。川岸からウインチを使って橋から投下せざるを得なく、そして川に落ちた車両は川底に埋めることに・・・・


2003年、川底から露出している車輪が発見され、引き上げて現在の堤防の上に移動した次第。

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・1945年の事故車両のものと推定される車輪

60年以上も川底に眠り続けた車輪。ぼろぼろに錆びていますが、それでも車輪とわかる姿を留めています。
きっと、様々な人の想いが詰まっているこの車輪。手を合わせておきました、合掌。


それにしても、ココまでしっかり残っているとは驚きの車輪


話は変わって、この橋のおかげで川底が削れてしまうし、川のルートが狭い範囲に固定されてしまうとかで、大がかりな浚渫&河川再構築の工事が行われるんですって。

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・JR八高線多摩川橋梁付近で行われる工事の説明看板

そうか・・・・ひょっとすると、事故の遺構がさらに見つかるなんてこともあるかもしれないですね。


こういった事故の原因を一つずつ追求して、対策して、今の安全が成り立っている・・・・もう一度手を合わせておきました。


それにしても・・・・乗客であふれかえる八高線。今では予想も出来ん!!(笑)