旭川で宿泊して迎えた朝。さっそくテレビの気象情報に釘付け。
そう、今日は好天が期待できるのですが、明日・火曜日は全道的に天気が崩れるとのこと。天気図を見ると、北海道の北側を寒冷前線を伴った低気圧が通過するので、どこに逃げても避けられない・・・・
・画像を残していなかったのでイメージ予想天気図火曜9時 | ・稚内だけ月曜夜から雨が降り始める |
元々の予定では、今日(月曜日)は兜沼公園キャンプ場でキャンプ、明後日(火曜日)は低気圧・寒冷前線の後ろ(の晴れゾーン)を追いかけるような形でサロマ湖方面に向かい、サンゴ草を堪能する作戦。
週間天気予報を見ると、水曜日以降は道東方面で好天が続くというので、思い切って道北巡り&兜沼公園キャンプをカットして道東に避難するというプランもあるのですが、どちらにせよ火曜日は雨に当たるし、今回はあまり道東のことを事前調査していないし・・・・
私の読みだと、明日の低気圧・寒冷前線が何時頃通過するのかが勝負。
一番雨の降り始めが早い宗谷地方に向かえば、夜のうちに寒冷前線が通過して火曜日が降られなくてラッキーなんじゃないのかと。
この天気図を信じて、午前9時には兜沼を通り過ぎ、浜頓別付近に到達していると見込み、道北ルート決行と判断します。
北海道遺産・旭橋
今後の行動予定も決めたし、さっそく旭川の宿を出発。
まずは目と鼻の先に有る『旭橋』を見学。
北海道三大名橋のうちの一つであり、当時建設されたまま残っているのはこの橋のみ。(他の橋は数回架け直されている。)
・北海道遺産・旭橋 L=225.4m 1932年開通(昭和7年) 朝霧が悔しいねぇ(泣) |
鉄骨で組まれた美しいブレースト・リブ・バランスト・タイドアーチ橋(←実はよくわからん!)。
近くで見ると、その鉄骨の太さが異様で、ものすごく丈夫そう。誤って自動車が突っ込んでもビクともしなさそうだし(笑)
下の写真では、目の前にバイクを止めて撮影しているのですが、鉄骨の強固さが伝わるのではないでしょうか。
・異様に太い鉄骨で組まれている旭橋 バイクの車幅以上の鉄骨!? |
建設から80年近く経っているというのに、丁寧にメンテナンスされ、塗装も塗り直されサビ一つなく使用し続けられているのが素敵。
それもバリバリ現役で、路線バスとかも普通にこの橋の上を通っています。頑丈さもそうだけれども、当時これだけの幅が必要だったのか!?と思うほどゆったりとした作り。
さすがに現代の片側2車線道路にはちょっと狭く、片側1.5車線ぐらいですが、先見の明というかなんというか・・・・
なんでも、この先に日本陸軍第七師団司令部があり、戦時に敵に橋脚が攻撃されても崩落に耐え、また戦車などの重量物の通行を可能とするために頑丈に設計されたと。(←Wikipediaに詳しい説明が有ります。)
当時、こんな鉄骨(高張力鋼)を製造する能力は日本にはなく、海外から輸入され、そして蒸気機関車などを製作している金属加工が得意な会社が加工製造したことを示す立派な銘版が取り付けられています。
・汽車製造株式会社 製造と記された銘版 |
スゴイねぇ~。
そして銘版って、今のペイントで書かれている奴はいかに味気ないか・・・・。こういうプレート式が格好良いね。
旭川駅からこの旭橋に向かうルート上には、珍しいロータリー式交差点! たまたま手前の押しボタン式横断歩道が赤信号になっちゃっていますが、普段はノンストップで交差点に進入して分岐していきます。
・ロータリー交差点 |
釧路にもあるロータリー交差点ですが、こちらの方が迫力あるねぇ~。しかもなんと言っても2桁国道上にあるのが凄い!
私は勝手がわからず、恐る恐る進入していったのですが、地元の人は慣れていて、かつ私の走りを見て不安になったのか、みんな止まってくれました(爆)
神居古潭(カムイコタン)駅跡
旭川からは、一旦日本海側に出てから北上します。日本海方面に向かう途中にはすごい地名が有ります。その名も『北海道旭川市神居古潭』で、よく各地でカムイコタンって名前を聞きますが、ここは行政上の住所がカムイコタン!
国道12号線・神居国道は綺麗に整備され、普通に走っていると"神居古潭トンネル"に入ってパスしてしまうのですが、あえて手前で旧道に外れます。
・国道12号線(神居国道)をトンネル手前で外れ、旧道を進みます |
そう、道路もトンネルで越えてしまおうというぐらいの地形ですから、すぐ隣に流れる石狩川もこの辺りだけ突然川幅が狭くなり、流れが急峻になり、そして岩がゴツゴツした険しい姿に変わります。
地名はアイヌ語のカムイコタン(神の住む場所)の音意訳ですが、この地に神様?
・目の前を流れる石狩川・・・・この辺りだけ岩がゴツゴツ、川幅も狭い |
看板によると・・・・
神居古潭 カムイコタン Kamuy-kotan(神村)
舟が唯一の交通手段だった時代、両岸から奇岩怪石が迫る激流のこの地は、神(カムイ)に祈りを捧げて通らなければならない所でした。
アイヌ民族にとっては、大地も水も火も動植物もすべてが神様が宿す存在でしたが、通行人を苦しめる難所だったことから、ここでのカムイは魔神(ニッネ・カムイ nitne-kamuy)意味するという説も有力です。
旭川市教育委員会
ですって。
そして川の対岸を走る函館本線も、川沿いの旧線から、長大トンネルで通り抜ける新線に切り替わり、そして旧線上に存在していた『神居古潭駅』は廃止となってしまったのです。
そんな駅跡を見学に行きましょう。
・神居古潭駅(明治43年建設のものを復元) 開業:1901年(明治34年) 廃止:1969年(昭和44年) |
駅舎は当時の写真などから復元されたものですが、先進的な西洋建築で、その細部の作りとかがすごいと豪華!(柱とかね。)
たかがローカル駅だったはずのこの駅が、ココまで立派に建築されたというのは、やはり神の村だったからなのかしら???
旧線はサイクリングロードに転用されている関係で、ここは休憩スペースとなっているのですが、残念ながら施錠されて内部には入れませんでした。(←朝7時30分の訪問だから、仕方がないか。)
線路跡の方に向かうと、しっかりとホームが残っています。
・旧線はサイクリングロードに。ホーム跡はしっかりと残っています |
舗装されていない部分にはバラストらしき砂利がたくさん。
ホーム跡には、駅名板。当時のものか復元されたものかは不明ですが。
・神居古潭駅 駅名板 |
それにしてもこんな立派な駅名を持つ駅が廃止に? 新駅作って移転しなかったの?なんて思っていましたが、由来からもわかるように神に祈りながら通過だなんて、この地は避けたほうが良かったのかもしれません。
旧線時代には、機関車が落岩に衝突した事故とか、新線に切り替えた跡にも落岩でサイクリングロードが通行止めになることも有るんですって!
レンガ造りの橋台も残り、そしてその先には当時活躍していた蒸気機関車3台。
・活躍した蒸気機関車達 29638・C57 201・D51 6 |
この駅が廃止になった昭和44年、大活躍していた蒸気機関車も、複線電化とともに新線に切り替えられお役御免となり、この地に眠ることになったのでしょうか?
セイコマ会員登録~♪
北海道内を中心に展開しているコンビニ『セイコーマート』。ていうか、北海道内では他に類を見ないほど強いですね。
どんなに小さな町にでも、セイコーマートは存在する!という力強い頼もしさ。一人用にちょっとしたカット野菜とか、お肉とかも売っているので、以前ならば街のスーパーを探してキャンプ食材を調達しなければならなかったのに比べると、休憩ついでに食材調達が出来てしまうキャンプライダーの強い味方。
各店舗で手作りお弁当の『Hot Chief』を上手く使って、キャンプで調理をしないという作戦もありかも。
いつもの埼玉県内に有るセイコマではなく、正真正銘(?)のセイコーマート。
・セイコーマート納内 |
長年、北海道ツーリングに来た時しかご縁がないから・・・・と会員にはなっていなかったのですが、今年は会員になってみようかなと。
実は、昨日も旭川でセイコマを利用したのですが、店員さんが忙しそうだったので会員申請を我慢(?)して、この空いているセイコマで会員になってみました。
・普通の名刺サイズのカードと、ミニカードが合体しています |
会員カードは、普通サイズのメインカードと、ミニサイズのサブカードの2つを分離してそれぞれ所持可能。早速サブカードをバイクの鍵にくくりつけておけば、あ~ら便利♪(Thinks ドデカバーさま。)
確かにこの作戦はいいわぁ~
そして会員になった特典でジュース1本プレゼントに、今回のたかだか数百円のお買い物なのに、既に8円引きっっっ!
すごい太っ腹なセイコマです。
ちょっとだけ深名線めぐり・第三雨竜川橋梁
納内からは針路を北に変え、国道275号線・空知国道をトレース。
この道路に並行して、国鉄/JR深名線が走っていました。残念ながら1995年に廃止されたのですが、国鉄を代表する不採算路線だったというのに、周辺道路未整備という理由で、1995年までは廃止を免れていました。
あぁ~、私の初北海道ツーの時なら現役だったのに~(泣) こういった路線に立ち寄るとかもっとこまめに見て回るべきだったのですが、初回は北海道一周という無茶な計画を立てがちで・・・・
廃止から20年近くが経とうとも、やはりここに鉄道が通っていたんだなという痕跡は残っています。
・ただの砂利道と見るか、廃線跡と見るかで楽しさが全然違います ・・・・鷹泊駅付近 |
でも周辺は森ばっかりで、人影がまばら。
こりゃ~赤字なわけですね。
・国道275号・空知国道 辺りには何にもありません |
そして幌加内峠越え。数年前の2010年12月に長大なトンネル(幌加内トンネル L=1,241m)が完成し、難なく峠を越えられるようになっちゃいました。
旧幌加内駅。国道から離れた位置にあったのですが、代替バスのターミナルが国道沿いに新築され、そして深名線資料館も内包。
・幌加内バスターミナル 立派な建物だなぁ~ |
あ~らなんて丁度よいんでしょう。深名線のお勉強をしようっと。
むむっ!
・幌加内バスターミナル内の深名線資料館 |
なんか寂しい・・・・(泣)
入場無料なのは嬉しいのですが、展示物はとりあえず駅に残っていたものをここに集めておきました的な?
写真手前の名簿に名前を書いて、自由に見てまわる形式です。今日は私が初訪問者。昨日は・・・・10人ぐらいは来ているみたいです。
ここ幌加内町といえば・・・・蕎麦の作付日本一の市町村! ぜひお蕎麦を食べたいし、この建物には蕎麦屋さんも入っているのですが・・・・時間が早すぎてクローズ!(泣)
ちなみにここに置いてあった観光パンフレットによると、蕎麦屋は・・・・どこも早すぎて全滅!(大泣)(←まだ9時過ぎだしね。)
今日も結構時間が厳しい・・・・。時間さえあれば・・・・、仕方がない諦めて走るか・・・・
国道を走ると、ひときわ目立つトラス橋。
・第三雨竜川橋梁 L=101m 1931年竣工 |
深名線建設における最難関な工事だったこの橋。取り壊されるはずだったものを幌加内町が観光の目玉にしたいということで、保存されることになった橋。
ちなみにこの辺りの渓谷は『ポンカムイコタン』という名前。やっぱり難関なところには"神"が名前になるんですね。
"この鉄道のお陰で、陸の孤島と言われていたこの地域に一条の希望の光を照らしだした・・・・"とあるように、当時この国道などは当然存在しておらず、大型クレーンも進入できない場所での橋梁建設工法などが、土木遺産として認定される基礎になったのでしょうか。
・近年、再塗装されたとか |
どうせなら枕木とレールも・・・・と言いたいところですが、この橋の維持費に年900万円ほどかかるんですって。こりゃ~観光のためと言っても大変だわっ!
この谷の部分を通過すると、広大な平野の『政和』集落。ここに政和駅が有りました。
・政和駅跡 |
駅舎は当時のまま残っています。廃駅後はレストランとして使用され看板は『275 REST 飯処せいわ』となっていますが、入り口はベニヤ板で塞がれ『休業中』ですって。
残念~
最北の蕎麦栽培・幌加内で新蕎麦
国道を走っていても、あちこちで広がるそば畑。本州とは規模が違いますねぇ・・・・
・そこら中に広がるそば畑 もう収穫は終わっています |
ここは北海道。白い蕎麦の花・・・・の季節はとうに終わり、新そばの季節かぁ・・・・
8月30日・31日には幌加内新そば祭りが開催されたんですって。
食べたかったなぁ・・・・
むむっ!
なんと政和の集落に、朝8時から営業している一件の蕎麦屋を発見っっ! これはもう立ち寄るしか無いでしょっっっ!
Uターンしてまで緊急ピットイン!
・政和三頭山 |
どう見てもただの民家でびっくり。入り口を入るとそこは玄関で、スリッパに履き替えて居間と食堂が合体しているような本当に普通の家の中へ。
よぼよぼの爺ちゃんがやりくりしているようです。
メニューは、"もりそば"か"かけそば"しかない質実剛健っぷり。地元・幌加内のそば粉を使った十割そばで新そばですって、楽しみ~♪
・【美味#03】もりそば ¥550円 |
あれっっ?? なんか、皿が変なので美味しそうに見えない~~~(泣)
美味しい・・・・んでしょうね(?)。なんか変だなぁと思ったら、ツユに深みがないのかな?
三毛別羆襲撃事件現場
ちょっと、今日の『北上する』という目標から寄り道です。
古丹別(こたんべつ)の町から、三毛別(さんけべつ)川に沿って道道1049号を南進しましょう。この道、ベアーロードと名付けられ、次々とカワイイ熊の絵の看板が出ていますが・・・・
・ベアーロードの看板。沿線の各家庭が掲げているようです。 |
しかし、この行き止まりの道道の行き先は・・・・
まだ明治時代に北海道を開拓している人々が住んでいた小さな開拓村。ここを巨大羆が襲撃して、犠牲者8名となる人間対羆の壮絶な戦いが繰り広げられた現場!
詳細はWikipediaにお任せ他力本願ですが、総勢200名を超える討伐隊を編成して戦ったんです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%AF%9B%E5%88%A5%E7%BE%86%E4%BA%8B%E4%BB%B6
冬眠することが出来なかった巨大な羆が人間を襲った凄惨な事件・・・・怖くて夜中に記事を読み続けられません。
事件現場への途中にある三渓神社には、ひっそりと羆害慰霊碑が建っています。犠牲者8名(7名+1名)の実名が刻まれているのですが、お腹の中にいた子供にはまだ名前が無いため、1名は胎児殿と刻まれています。
・三渓神社 右側にあるのが羆害慰霊碑 |
インターネット上の話だったものが、こうして現実として肉眼で見ると・・・・恐怖感倍増!
手を合わせておきました。
さらに進むと・・・・
・射止橋(うちどめばし) |
射止橋と名がついた橋。どうやらこの辺りで例のヒグマに最初の1弾を命中させたから記念にこの名が付いたとか。
グングンと恐怖感が倍増していきますっっ!
さらに進むと・・・・
・片側1車線の舗装道道が・・・・!! |
なんと、片側1車線の舗装道路が、1車線幅のダートにっ!!
まじかよ~。ここまで来てオンロード車という理由で引き返したくないし・・・・
ゴー! でも怖いよ~
そして到着した事件現場(復元ね)。
・三毛別羆襲撃事件現場 |
周りは鬱蒼とした森。当然人影は無くひっそりと冷たい空気が立ち込め・・・・
そして当時の家を再現した建物。家というにはあまりに頼りない、茅で壁や屋根を作ったもの。コレを羆がぶち破ってきたのかよ。その羆の身の丈2.7mを再現したものが左の羆の模型。
こんなのと素手で戦ったって、絶対に勝てないって!!
この再現した当時の住宅も中が薄暗く、最初の一歩が怖くてなかなか踏み出せない・・・・
・家の中に入る最初の一歩が・・・・ |
ここが大観光地だったら雰囲気ぶち壊し。ドマイナーなポイントだからこその味わい(笑)
事前に勉強してからくることで、このなんとも言えない感じが・・・・
長居したくないな・・・・というほど。
家の中には『家ノート』が置かれていて、訪れた人々が色々書き残しているのですが、皆さんこの何も無さが『良い意味で裏切られた』ですって。
こういった方々の開拓があってこその、今の北海道が有るわけで、本当に頭が下がります。
羽幌鉱山跡
北海道の日本海側・羽幌の町から30kmほど内陸に入った所に、良質の石炭が採れる『羽幌炭鉱』が存在していました。
1935年に操業開始して、1970年に閉山されるまでの35年間に渡り、この何もない場所が大変賑わった街を構成していたほど、この地に人々が集まり、そしてここで産出した石炭を運び出すために、会社が自ら鉄道を敷いていたとのこと。
こんなポイントが有るなんて・・・・"旅風ハイパースポットガイド"を熟読していて発見しました。
羽幌町が観光のポイントにしようとしているのか、各ポイントには看板が設置され、それぞれの建物の解説がされているほど。
鉱山は3箇所(羽幌本坑・上羽幌抗・築別抗)に分散されて存在していました。
古丹別から今度は羆事件とは逆の方向に進んでいき、しばらく走ると何もない森の中を走っていたのに巨大な落ち果てたコンクリート人工物が出現します。
・【羽幌本坑】貯炭場・ホッパー施設跡と、奥には運搬立杭跡 |
このコンクリート施設は貯炭場・ホッパー施設跡で、建物上部に石炭を貯めておき、建物下部には鉄道貨物車が直接乗り入れるためにレールが敷かれていて、重力を使って石炭を貨車に積み込む施設。
奥の立杭跡は、日本に4箇所しか作られなかったタイプらしい。パーキングタワーみたいに構造物ですが、内部はクレーンで石炭を掴み上げる施設。側面には運営会社の『羽幌鉱業所』のロゴマーク(日野自動車のマークに似ていますね!)が今も残っています。
どう見ても深い木々に遮られて、徒歩でアタックはできなさそうですが、その筋の廃マニアはタワーまで到達しているという・・・・
まぁ、今日の私は立ち入りが許可されている場所から眺めるだけにしておこう。
・【羽幌本坑】貯炭場・ホッパー施設跡 |
先ほどの貯炭場・ホッパー施設跡は、だいぶ近くに寄ることが出来ます。
すげぇ~。既にレールはすっかり無くなっていますが、閉山から40年近く経過した巨大構造物はまだしっかりと残っています、パッと見は。
ただし側面に掲げられた羽幌鉱業所の看板は完全に落ち果てて・・・・そして、建物全体が徐々に山側に倒れているのだそうで。
人々が集まるので、小学校も作られました。
・【羽幌本坑】北辰中学校跡 |
こちらは現在民有地なので、敷地内立入禁止。遠くから眺めるだけです。
羽幌本坑からバイクで10分ほど走ると、築別坑に到着。こちらも巨大な貯炭場・ホッパー施設が残っていましたが写真割愛。
築別坑地区には、本坑地区よりもいろいろな遺構が残っています。まずは小学校。
・【築別坑】太陽小学校跡 |
なんと、閉山とほぼ同時に廃校となりましたが、数年前までは羽幌町がキャンプ場等の施設『はぼろ緑の村』として運用していたため、かなりしっかりとしています。
珍しいのが併設の体育館。
・【築別坑】太陽小学校跡 珍しい円形の体育館 |
名前が『太陽』だからなのか、完全円形の体育館。
そして炭鉱マンが暮らすためのアパート群も廃墟となっていますが残っています。
・【築別坑】炭鉱アパート群の跡 |
このアパート、閉山のわずか1年前に完成したので、ほとんど新築のまま放棄されたという・・・・
こちらは、消防署跡。確かにそれっぽい車庫の形をしています。
・【築別坑】消防署跡と、奥の煙突は発電所跡 |
その奥には、この街や鉱山で使う電力を供給する発電所跡の煙突。
さらには病院。昔はすぐそこまで鉄道が通っていたからなのか、鉄道病院。
・【築別坑】鉄道病院跡 |
こちらは、道道延伸の際に半分破壊されてしまったせいもあるのですが、完全に落ち果てるまで時間の問題ですかね。
こんな山奥に、最盛期は人口2万人ですって。
何もかもが意外!でびっくりしました。
ひと通り見学して、日本海側・羽幌の街に向かう途中には、羽幌炭礦鉄道の遺構も残っています。
・【羽幌炭礦鉄道】第二築別川橋梁 |
建設時期が戦中という、物資が不足している時期。新品で橋桁を製作できなくて、日本中から不要になった橋桁を集めて、それに合わせて橋台やら橋脚を作ったんですって。(橋脚の左右で高さが違うでしょ!)
だからこの橋も、左右で桁の種類が違う・・・・
教養は人生を豊かにする・・・・
知っているといろいろ楽しいですね~
日本海岸を北上
羽幌の街からは、日本海岸沿いの国道232号線・天売国道を北上。時刻は13時を過ぎ、走り始めてから6時間以上経過しているというのにちょっと進み具合が微妙・・・・
よしっ! 気合を入れて走ろう!
・国道232号線・天売国道 |
殺風景・・・・というか、何にも無いゾーン。幸いなことに距離が進むわ~
道の駅初山別では、一日一本・・・・じゃなかった、一日一食のソフトクリーム。
・【美味#04】ストロベリーミックスソフト |
もう今年も初山別みさき台公園キャンプ場に泊まっちゃおうかしら・・・・という葛藤と闘いつつ・・・・
休憩もそこそこ、走ろう!
・国道232号線・天売国道 |
あれ~、世間は3連休じゃなかったっけ? そんなのかんけーねーっ!ってぐらいにガラガラ。気持ちいい~!!
急いで距離を稼いだのは、キャンプサイトに行く前にもう一箇所寄り道しようかと思いまして。
さらに予定を前倒し・豊富町大規模草地牧場
どうやら明日の天気は望めなさそうなので、明日回る予定も詰め込みました。
2012年、2013年に続いての訪問。穴場なのか、ほぼ間違いなくガラガラなのが素敵なんです。
・豊富町大規模草地 左手中央の豆粒は牛さん達 |
牧場全体では1,500頭もの牛さんが放牧され、自由に草を食べて暮らしている・・・・あぁ~まったり。
この辺り一帯は、間違いなく人間の数よりも牛のほうが多いわっ。
深呼吸したくなっちゃう場所ですね。
面積も1,500haって言われてもよくわからないけれど・・・・よく言われる東京ドーム換算だと、320個! ますますよくわからない!(笑)
・地平線の彼方まで・・・・人工物が全く無し! |
しかし・・・・残念だなぁ。日没まであと2時間ほど有るはずなのですが、バイクにあまり光が当たらないし、空も雲が多め。
一昨年は雲が多く、去年も日没間際での訪問となってしまい、今年こそは朝日がサンサンとした場面で写真を撮りたかったのですが・・・・
今回もダメだったね(泣)
天気のバカーっっっっ!
兜沼キャンプ場到着~
途中、ルート上にある豊富町営温泉施設でさっぱり!
事前情報で、ここの温泉は『ほのかに 石油臭がする』ということだったのですが、たしかに鼻につく微妙な香りが(笑)
一般用浴槽の湯は源泉を一応濾過しているんですが、治癒用浴槽は源泉ダイレクトで、もっともっと石油臭い(石油が混じっている!)んですって。
・豊富温泉ふれあいセンターで、ひとっ風呂 |
施設内には食堂も有り、ジンギスカンが・・・・いいなぁ~。
でもでも、ここだと食事しながらビールが飲めないの! ぐっと我慢して、キャンプ場に向かいます。
今日の寝床は、ドデカバーさまオススメの兜沼公園キャンプ場。
・兜沼公園キャンプ場 |
その名の通り兜沼の脇にあるキャンプ場。テントサイトは良い感じの林間の芝生。そしてひっそり。いいね~
目の前には兜沼。
・兜沼 日没10分前だけれど、夕焼けは見えないかな? |
そして聞こえてくる音は、1時間に1回程度の宗谷本線ディーゼルカーのジョイント音のみ。(普段、待ってもなかなか列車に遭遇しないのに、コッチがじっとしていると結構頻繁にやってくるのね。)
単行普通列車の方が車重が重いのか、速度が遅いのか、ドスンドスン・・・・といった重い地響きと共に。特急列車は軽快な音。
天気は下り坂だし、すでにココまで走ってくる間の道路情報電光掲示板で『宗谷地方 雷注意報発令中』と警告されていました。
今晩は間違いなく雨が降るのが分かっているので、テント泊はさっさと諦めて、教えてもらっておいたバンガローに避難です。
・バンガロー ¥1,340円 |
こんなに安いのかっ! 快適だわ~。それに電源コンセントもあるから、スマフォで情報収集できるし。
日没時間。急いで食事の準備。ご飯炊いて、おかずはビールに最適な北海道名物『塩ホルモン』入りもやし炒め。
・【美味#05】夕食は、塩ホルモンもやし炒め & ビール等々 |
うま~い! シンプルだけれどもどっしりとした食べ応え。ビールに合う合う~♪
酒が入ったら急速に眠くなってきて、スマフォ云々なんてどうでもよくなり、ジャージ着込んで速攻で寝てしまいました。寝袋の中が快適だしね。
なんたってこの辺り、昨日の晩は1℃近くまで気温が下がったんですって。
いや~、ココまで気温が下がるとは! 今回持参は夏用シュラフなので、気温一桁だと辛い領域だよ。
あら?雷??? そして急速に雨! 雨音で目が覚めました。(まだ20時。)
よしよし、私が眠っている間にじゃんじゃん降っておしまいっっ!!!