いつものように隧道を見つつ、廃線跡をトレースするつもりだったのですが、ココはものすごい情熱が詰まっている『道』だったんだとわかったのです。
東京都・多摩地域北部と埼玉県境付近に、村山貯水池(多摩湖)と山口貯水池(狭山湖)という、大きな人造湖があり、そして、その人造湖を作るためには・・・・ダム建設。そのために工事用の軽便鉄道を引いた・・・・ぐらいの感覚しか持っていなかったのです。
その跡をトレースする徒歩旅・・・・
https://…/2013/07/21/ ぶらり・・・・超ショート旅!羽村山口軽便鉄道の跡ってどこかしら?
さて、今日の探索日記は、普段とは逆に先に地図を持ってきてお話しします。
・本日の探索範囲マップ |
普段当たり前のように使っている蛇口をひねれば綺麗な水が出てくる『水道』というものが、先人の皆様がいかに苦労して手に入れたものなのか。実感する旅なのです。
江戸の街に上水道を・・・・ということで引かれた玉川上水。しかし増え続ける都心の人口と、開渠での自然流下の水供給では衛生面でも問題になり、より安定的に、衛生的に水を供給する必要が出てきました。
新宿駅西口、今の都庁が有るところに『淀橋浄水場』を建設し、日量17万立方メートルの供給体制ができたのですが、どんどん増殖する東京人口に水不足は明らか。
そこで東京都水道局は次なる手として『村山貯水池』を建設することになりました。
その貯水池に水を貯めるために、多摩川は羽村河口堰、玉川上水を分岐させる地点から取水。『導水管』を引き通す工事も同時に施工することになり、そのために建設されたのが『初代・羽村山口軽便鉄道』というわけだそうです。てっきり、後述する勉強をするまでは、ダム堤体を作るための鉄道かと思っていました。
まずは第五隧道西側へアプローチ
さて、旅の始まりはJR立川駅。いつも探索仲間のくぼたさんと待ち合わせし、ここから路線バスで最寄りの『三ツ橋バス停』を目指します。
・JR立川駅 | ・イオンモール行きに乗ります |
今日はいつものバイク&自動車で回るというスタイルではなく、基本は徒歩。機動力が必要な場合は公共交通機関を使います。
そうそう、今日も炎天下が予想されるため、水分補給は大事。でもね、くぼたさん・・・・それはどうなのかなぁ~(笑)
・雪印コーヒー |
甘いから余計に喉が渇くんじゃないの???(←まぁ、あくまでネタとしてわざわざ持ってきてくれたんですけれどね。)
やがて三ツ橋バス停。
いや~、お盆休みでみんな帰省してしまっているのか、午前9時前から活動している人は少なく、道もガラガラ、バスもガラガラ。
・西武バス 三ツ橋バス停 |
さぁ、それではここから先は徒歩。
すぐそこの路地を入っていきます。こういう特定の場所を目指してアタックするのにスマフォが大活躍。GPSマップさえあれば迷うこと無くピンポイントでアプローチできちゃうんですもの。
・この路地を入っていきます |
450mほど進んだところで右に折れ、山道を歩きます。季節は夏、立ち止まると蚊の猛攻撃を受けるので、歩き続けねばなりません。
・人影がない山道 | ・左側は赤坂池。不法投棄防止の柵かしら? |
さらに歩くと・・・・
舗装された道路の終点にたどり着きました。ここが『野山北公園自転車道』の行き止まり型の終点。
・野山北公園自転車道の終点 | ・赤い杭。昔の東京都のマークと"水道"って刻印 |
赤い杭~!(しかもわざわざ水道って刻印がしてあります。) 国鉄鉄道用地も『赤い杭』で用地区画の目印になっているのですが、ここも鉄道跡だからなのか赤い杭。コレは頼もしい目印で、今日この先もこの杭を見つけ続けることができれば完璧にトレースできるというわけです。
ここから整備された自転車道を行けば第四隧道。しかし私達は、その自転車道の反対側延長上にある第五隧道を目指します。
鉄道跡だからなのか、はたまた時々探索する人がいるのか、ルートはしっかりと残っています。
・第五隧道西側坑口へのアプローチ路 |
蚊さえ居なければ、森の中はとても涼しくて快適~♪
そして100mほどで・・・・有った!
・第五隧道西側坑口 | ・コンクリート製 立ち入れないように柵が! |
夏で木々が生い茂っている季節なので坑口が隠れてしまい、ひっそりと佇んでいる第五隧道。
隧道は第一~第六まで番号が割り振られているのですが、第五隧道以降は東京都水道局管理の地域内で立入禁止のため、ここ第五隧道西側坑口がスタート地点となります。
・柵越しに見た第五隧道の内部(水が滴ってくるせいか、足元はドロドロです。) |
坑口もそうですが、内部も綺麗にコンクリート巻き。
前回の下見の時にもこのコンクリート製の隧道を見て、『おやっ? もっと時代が古いはずなのになぜ?』と感じたのですが、それも後ほど氷解することとなります。
隧道隧道4連続!
さぁ、スタート地点からは逆に戻る形で鉄道跡を徒歩探索していくことにします。
暫くの間は"野山北公園自転車道"をトレースする形です。
・野山北公園自転車道の終点からみた第四隧道 |
自転車道の終点には車止めが建植されていますが・・・・だいたいどうやって自動車がここまで来るんですかねぇ?
第四隧道からは自転車道として整備されるときに命名された『名前』があります。
・第四隧道 赤坂トンネル | ・構造は先ほどと同じ |
残念なのはシャッター・・・・。夜間は封鎖するために設置されている模様です。
はぁ~、トンネル内は涼しいわ~。そして通り抜けると、先日バイクで偵察に来た道路も廃線跡も90度曲がる地点。
・右に大きく曲がる地点 |
このRを描く地点の周りの土地も『東京都水道局』の立入禁止看板が建植されているので、昔はもう少しRが緩かったのかもしれません。
やがて、第三隧道が見えてきました。
・第三隧道 御岳トンネル |
そうそうこの辺り、ホタルが住んでいるぐらい自然が美しいところ。都内で(奥多摩とかの山の方は置いといて)こんなところがあるなんて!
来年6月にホタル見学に来ようかしら。
その後もトンネルが続きます。第二隧道。
・第二隧道 赤堀トンネル |
内部で軽く曲がってはいますが、全長は短いため反対側が見通せますし、照明も完備。さらには随所に非常ボタンも完備!
そして最後の第一隧道。横田トンネル。手前は踏切だったんですかねぇ・・・・
どの隧道の坑口も、飾り付けなどはなく至ってシンプル。工事用と割りきって建設されたからなのでしょうか?
・第一隧道 横田トンネル |
そうこの『横田』の名はこの辺りの地名から取られたもの。バス停の名前も横田だし・・・・。そう、そして米軍"横田"基地も、この『横田』から付けられたものなのかもですね。
知らなかった~
横田基地の名は、やっぱりこの辺りの大字の地名が、米軍の地図でたまたま現行の基地の一番近くに記述されていたからみたいですよ。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E7%94%B0%E9%A3%9B%E8%A1%8C%E5%A0%B4 Wikipedia 横田飛行場
ちょっと寄り道。武蔵村山市歴史民俗資料館
トンネルを抜けると、都道55号『所沢武蔵野市立川線』と交差。ここから先は明かり区間が続くのです。
が、廃線跡トレースは一旦中断して、ここから400mほど離れた場所にある『武蔵村山市歴史民俗資料館』に立ち寄ってみます。
ほんのちょっとでも、この軽便鉄道に関する情報を入手できればと思いましてね。
・武蔵村山市歴史民俗資料館 |
ビンゴ!
一畳ぐらいのわずかにスペースですが、レールや車輪、その他由来などの資料が展示されており、現在は鉄道の駅が存在しない武蔵村山市にも鉄道が有ったんですよ・・・・的な説明になっています。
館内は入場無料ですが、残念ながら撮影禁止。
その代わり、この資料館が取りまとめた冊子が販売されていました。一冊¥150円。
・資料"武蔵村山の軽便鉄道"は大変役に立ちます |
これが非常に詳細で、探索に役立ちます。
そもそもこの初代・軽便鉄道は、多摩川・羽村から横田トンネルの手前まで引かれていたそうで、導水管工事が完了した後に一旦撤去されてしまいました。
しかし、村山貯水池が完成した後も水需要は増大し続け、さらなる水道増強作戦として『山口貯水池』を建設することとなります。
このために1929年中頃、軽便鉄道を復活させ、かつ横田トンネルから先の6トンネルを開通させ、山口貯水池のダム堤体建設のための資材搬送を行ったのだそうです。
村山貯水池が完成して、日量40万立方メートルまで増強した供給量が、山口貯水池を完成させて日量48万立方メートルまで増強となったのです。
この後、軽便鉄道の機関車等は、奥多摩湖・小河内ダム工事に転用してこれを完成させ、日量90万立方メートルにまで拡大と、いかに水を確保するのが大変だったのか歴史を振り返ることが出来ました。
野山北公園自転車道・明かり区間の徒歩探索
では、先ほどの横田トンネルの東側坑口に戻って、廃線跡徒歩トレースの続きです。
横田トンネルの出口では、資料によると『横田車庫』だった場所で、初代軽便鉄道の終点だったところ。
・横田トンネルを出たところ |
ここから先も自転車道が続くのですが、斜行しているほど幅が広い。そして右側に見える何の変哲もない公園が、車庫だったところ。
逆に東京都の広くまとまった土地が有ったからこそ、公園に転用されたんでしょうね。
・自転車道に残る説明パネル | ・横田トンネル坑口で撮影した当時の写真 |
平成12年までは、ここに燃料庫の建物が残っていたのですが、老朽化で危険のため撤去されたとのこと。
公園を通りすぎてから振り返ると・・・・
自転車道と公園との境界が、当時の車庫への引き込み線があった跡なのか緩いRを描いています。
・横田車庫だったところへの分岐境界(写真右側が自転車道、左奥が車庫跡。) |
資料がないと、この公園が車庫の跡だったとは気が付かなかったでしょう。(前回バイクで訪問しているのに、ただの広場としか認識していませんでした。)
さて、さらに歩いて行きましょう。
・一直線に続く廃線跡 |
地図でもわかりますが、とにかく一直線!
今日みたいなただ暑い日は人影もまばらですが、なんと桜並木。お花見シーズンはさぞかし綺麗なんだろうなぁ。
そして、たかが廃線跡なのに、綺麗に一直線で今も残っているし、アチコチに目印の赤い杭や、水道局の基準点などが残っているので、今もなおココは水道局の用地。
ひょっとして導水管が通っているので、その部分の土地を手放さずに今も持っているのかもしれません。
・東京都水道局の基準点 | ・自転車道の未舗装部分は・・・・バラスト? |
自転車道として舗装しているのはほんの一部分。左右の未舗装部分には桜の木とともに、気になるサイズの石。ひょっとして・・・・バラストかしら。
途中、大きな通り。新青梅街道と交差しますが、廃線跡は一直線に続いています。
・新青梅街道との交差。その向こうに一直線に続いています |
そりゃそうか。道のほうが後に出来たんだものね。
だいぶ歩いた頃、今度は進行方向左手に公園が見えてきました。
・左手には公園 |
ん・・・・公園!?
残堀砕石場跡
左手に広がるのは公園。続いて放置された森(どうやら水道局の立入禁止柵があるので水道局用地。)、そして残堀川を渡って東京都水道局の資材置き場と、随分とまとまった土地が存在しています。
・放置された森 | ・残堀川を渡って東京都資材置き場 |
実はこの不自然な土地は、残堀砕石場の跡。
多摩川で採取した砂利はサイズが様々のため、ここに石を砕くプラントを建設。多摩川・羽村側からやって来た鉄道はプラントの上部に接続され、ここからプラントに向かって砂利を投入すると、下で待機している貨車に砕いた砂利が搭載されるという仕掛け。
・残堀砕石場の当時の写真 @ 資料"武蔵村山の軽便鉄道" |
写真を見る限り、プラントと言っても木を組み上げて作っているんですねぇ。
そして今も残るそのプラントの遺構。何かの土台?基礎?なのかしら、複雑な形状のコンクリートブロックがど~んと置いたまま。
・森のなかに残る遺構 |
いまや、このコンクリートが実際のどの部分に使われていたのかはさっぱりわかりませんが・・・・
そして、この廃線跡の下には導水管があるので、川を越えるのであれば・・・・橋の下には巨大な管が見えるんじゃないの?
どれどれ?
・廃線跡にかかる橋の下は・・・・ |
なんにもないじゃん!? 導水管なんてウソなの???
ここから先はどうしようもない・・・・米軍横田基地
さらにひたすら一直線に歩きます。まわりは住宅街になるのですが、この廃線跡だけは面白いように避けているので、余裕でたどることが出来ます。
・右も左も住宅地。でも廃線跡は一直線 |
いや~、気持が良いほど一直線。
しかし・・・・そんな強気な廃線跡も、いよいよ辿れなくなります。
・道路の先は・・・・柵で塞がれています! |
道路の向こうはIHI・・・・石川島播磨重工業の工場敷地になってしまい、一般人の我々は入れないのです。
ちょっと迂回しようかしら・・・・
・米軍・横田基地 (遠くから撮っているので、ズームの効かないGRD4にはチト辛い写真です。) |
と思っても、さらにその奥には米軍横田基地が鎮座。
もし仮に、柵を乗り越えて廃線跡をトレースしようものならば、速攻で拘束され、コワ~い思いをすることになるでしょう(笑)
仕方なく、ココからは一旦路線バスに乗ってJR昭島駅まで戻り、電車で反対側のJR東福生駅まで行き、さらに歩いて北上して廃線跡に戻ってみることにします。
じゃぁ、バスで・・・・
・スバり"IHI"バス停 | ・なにぃ~、土曜日曜は運行なし! 別系統は2時間待ち |
・・・・_| ̄|○ (今日はお盆休み中なので、土日ダイヤで運行ですって。)
横田基地の東側・東福生駅から探索再開
結局バスは、隣のバス停まで歩けば運行しているとのことなので、なんとかJR昭島駅まで出て、そこからは鉄道でJR東福生駅へ。
・小さな無人駅・・・・JR東福生駅 | ・この街はアメリカン! |
JR東福生駅。すぐこそは横田基地という場所ですから、街の看板は英語併記。
街の看板だけでなく、踏切ですら英語表記! なんだかよくわからないけれど、スゲェ!(笑)
・JR八高線の踏切のはずですが・・・・ |
CROSSINGですって。
なんかこの間のグアム旅行を思い出してきたわ~。アメリカンな感じ~(笑)
東福生駅からは、横田基地の境界に沿うように北上。
・ここは日本の道。でも右の柵の向こうはアメリカ | ・警告ですって。 |
基地内の建物は、耐震やその他攻撃にも耐えうるためのなか、全部コンクリート製。
だからなのか、雰囲気がグアムだよ・・・・(グアムの建物も全部コンクリート製だったんですよ。)
暑い・・・・それにしても暑い。
基地の東側は、桜並木だったりと意外と陽を遮って涼しかったのですが、基地の西側は工業地帯だからなのか、そんな優しいオブジェは無いのです・・・・
・日陰がないので、暑い~ |
それにしても・・・・だいぶ北に歩いてきたし、もうぼちぼち廃線跡のはずだけれども、左側は倉庫のような建物が並ぶし、右側は住宅街。
もしかして、潰されちゃった!?
しかし・・・・
Googleマップ上に予め、基地の東側の廃線跡から一直線に線を引いてきたので、座標を合わせるように歩くと・・・・
・隙間発見! |
あった! コレが廃線跡じゃない!? 工業地帯なのに、ここだけすっぽりと隙間が開いていて、遊歩道みたいになっています!
無論、右側の住宅街も不自然な『隙間』が!
・住宅街のはずなのに、ここだけ隙間が! | ・でもしっかりお手入れはされています |
間違いなくココが廃線跡。
さっそくここから徒歩探索で、この廃線跡をトレースしていきましょう。
おおっ! また緑のオブジェが涼しくしてくれて、歩いていて気持ち良いゾーンが再開!
・緑の廃線跡 |
こりゃ~、なかなか楽しいね。
健康のためとはいえ、ただ歩くだけだと飽きちゃいますが、なんかアトラクションみたい~
線路は続くよどこまでも!?
それにしてもひたすら真っすぐです。
途中、砂利道になったりもしますが、とにかくまっすぐ。ところどころに例の赤い杭もちゃんとあるので、オンコース間違いなし!
・路面は変われど、方向は変わらず | ・オンコースの証。赤い杭! |
調子よく歩いていると、目の前に立ちふさがるビルヂング!
あぁ・・・・廃線跡もここまでか・・・・(泣)
・立ちふさがるビルヂング! |
あれっ!?
でもよく見ると、廃線跡の部分には建物が建っていないよ。
左右に建つビルから連絡通路みたいな形で繋げているだけだ。公道を使って反対側に回れるので、ほんのちょっとだけ迂回30m。
やっぱり意図的に避けているみたいですよ、廃線跡。やっぱり地下に導水管があるからなのかしら?
・ビルヂングを反対から見ても、不自然に避けている廃線跡 |
普段見かけてもなんとも思わないビルも、こうしてみると楽しくて仕方がありません。
ビルを避けた後も・・・・
・神名緑道 |
ずーっと・・・・
ずーっと・・・・
・コンクリート舗装路 |
とにかくまっすぐ。
団地の中だって、自分を曲げません!(笑)
・団地の中を斜めに突っ切る廃線跡 |
ずーっと・・・・
あっ!
・現役の鉄道 JR青梅線 |
現役の鉄道だ! さすがにコレには敵わなかったのでしょう。
いや、じつは軽便鉄道よりも先に青梅線は建設されていたので、ここはオーバーパスしていたとのこと。
きっと短期間だけ使用と割りきって、木造だったのでしょう。今はなんにも残っていません。
すぐ近くに踏切があるので、線路を渡り、先ほどの廃線跡の反対側に回ると・・・・
・真っ直ぐ続く道路 |
まだ残っています。ここから先は道路に転用されていますが、線形はまっすぐ!
廃線跡の終端
さて、いよいよこの廃線跡も終わりですね。東京都の杭が主張を繰り返す道路の終端。森が進路を塞いでいます。
・目の前には森が出てきました。 |
その森をくぐり抜けると、ゲートボール場?
そしてその先は柵と崖。そして水の流れる音!?
・廃線跡の終点、ゲートボール場 |
いよいよ跡がなくなってしまった・・・・というわけではなく、ついに多摩川にぶつかったのです!
第五隧道西側からひたすら歩き、ついにここまで! 綺麗に廃線跡が残っていたというわけです。
柵の向こう側は・・・・
・奥多摩街道と、見慣れた玉川上水 |
玉川上水だ~。
手前の道は奥多摩街道、文字通り奥多摩にツーリングに行く時に時々使うのですが、この河川の施設は河口堰か何かなのかな?程度に思っていましたが・・・・
廃線跡をひたすらたどってきて、その延長上にこの施設。何かある!
慌てて下に降りて川をのぞき込むと・・・・
・導水管取水口! このすごく立派に装飾された隧道! |
なんとなんと、ものすごく立派な坑口を持つ隧道。
今までの第一隧道~第五隧道の質素な隧道とは比べ物にならない立派なもの。いや、そのあたりの隧道と比べても、比較にならないほど立派!
大きな石をいくつも積み上げて作られ、上部には地球? そして柱には東京都マークが刻み込まれています。
やはりそれほどまでに、東京都民の命綱。大切な隧道なのでしょう。
・刻み込まれた東京都マークが誇らしげ |
やっぱり廃線跡の下には・・・・水を通す隧道が有ったんだ! それもだいぶ深いところに。
それで建物とかが建てられないので、今も綺麗に残っていたのか。この廃線跡は、東京都民の大切な『上水道』という性格から、今も大切にされていたというわけです。
現在では、多摩川系統の水源だけでは限界があり、利根川上流を開発し、日量600万立方メートルを超える水を確保するまでになった東京都水。
でも今年の異常渇水で、多摩川からの取水の比重を増やしているとか。
やっぱり、昔の人が作った公共施設って、どれもこれも必要性が十二分だし、今もこうして役立っているわけだし、なんだか素晴らく感動した一日でした。
あとがき
この後、多摩川の対岸にある羽村市郷土資料館にも立ち寄って、水道のお勉強。
普通に蛇口を捻って水が飲める・・・・って、本当はものすごい幸せなことなんですよ!